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2018-12-14

透析日誌(6)

 それでは本題に入りますか。私の4時間はベットに横たわることから始まる。
その前にすることがある。体重測定である。体内にたまった余分な老廃物を機械をとおして除去する量を設定するためですが、いくらでもよいというものではない。除去できる機械にも限界がある。
 私の目安としては2キロ程度にしている。腎臓の機能不全のため体外に排泄できずたまってしまう量は2キロ前後ということになる。逆に言えば2キロ前後に抑えなくてはいけないということになる。
 


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2018-12-12

透析日誌(5)

 透析の4時間は短いようで長い。死ぬまで続く4時間なのだ。
それでも10年もするとその4時間を中心にして私の生活が出来上がってくる。
 この時間は必ず病院にいなければならない時間。どうしてもはずせないこと。このリズムは周りにも影響してくる。
私の妻がまさにそうなのだ。生活リズムはそれを中心に動いてしまっている。だから透析の無い日、月、水、金は出来るだけ彼女のリズムで生活してもらいたい。現にそうしている。


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2018-12-10

透析日誌(4)

この透析の時間を私はもてあましていた10年前の初めのころ。この4時間が拷問のように苦しく切ないものでした。この苦しみから逃れるには腎臓移植か死ぬこと・・・
 一時期真剣に後者について悩んでしまった時期があります。何のために生きているんだろうか・・・・1週間に占める12時間の割合がわずか7パーセントではなくて何十パーセントにも思えた時期は苦しかった。
 ここまで書くと依然言ってたことと大きく矛盾することに気づきますよね。透析時間のすごし方の重要性と透析そのものの苦しみ。この間の距離を埋めたのが時間なんです。


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2018-12-07

透析日誌(3)

 どうやって4時間を過ごすのか。重要で無いようでそうでもない。1週間で12時間1ヶ月でおよそ52時間1年で624時間睡眠時間と仕事を除けばダントツである。
 この膨大な時間のすごし方によって人生が変わってしまいそう。しかしながら拘束された身でいったい何が出来るのか。
 ウォッチングをしてみると、ほとんど寝てる人 備え付けのテレビを見てる人、読書をしてる人、音楽を聴いている人。読書は片手が固定されているのでよっぽどの新年が無いと難しい。それでも毎回本を持参している人がいる。脱帽ものです。


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2018-12-05

透析日誌(2)

 今日調子が悪いから明日お願いします。というのは透析では基本的になしです。
最初はもっと融通が利くものと思っておりましたがだめなんですね。計画的に変更
するのはいいんだけど・・・・
 要するに私の人生の中の週3回4時間の高速は必要不可欠の物なんです。病院への往復とそれにかかる時間は一生死ぬまで組み込まれたものでそのハザマを縫ってこれからの人生設計をしなければならないわけです。


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2018-12-02

透析日誌(1)

これをやろうやろうと思っていたんだけど10年以上経って重すぎる腰を上げることにしました。なぜか踏ん切りがつかなくて・・・
 私の透析は 火,木、土、の週3回4時間ずつやっています。これはいわば生きるために必要な拘束なんです。
 ここで簡単に透析について説明します。私の腎臓の機能はほとんど働いておらず透析の無い時代ならとっくにあっちの世界に行っています。その腎臓の機能を機械でやろうというのが透析です。老廃物が腎臓で処理出来ないために血液を機械に通して浄化して体に戻してやるわけです。
 最初から長々と話してもあれですから次の透析でお目にかかります。


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2017-12-18

終焉を見つめて

ここに来たのは久しぶりでどれくらいの時間がたってしまったのやら・・・・・ もう年だからいい加減終わりを感じながらメッセージを送るべきと思ってお送りしています。だからといってどうこうするというわけでもなくただ時間の無駄遣いをしないように生きて行きたいと思っているわけです。昔営業でよく泊まったまった宿は大船渡のあの宿はどうなったのだろうか。久慈のあのお宿は無事だったのかな・・・
 心残りがいっぱいです。


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2017-07-03

あんなに死にたいと思っていたのに

 あの時はあんなに死にたいと思っていたのに・・・・
あれからもう30年生きてしまいました。つらくて悲しかったのは
幻のような現実ではないようなふっとそんな気がしてます。


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2017-04-01

昔あるところに変態親父がおったそうな

 昔あるところに会社勤めの変態親父がおったそうな。
酒が好きで酒が好きでどうしても止められずに酔っ払い運転をして免許を取り上げられてしまったそうな。
それでも酒が好きな親父はどうしても止められず周りから酒を止めるか運転を止めるかどちらかに二者択一を迫りました。
 もちろん親父は運転を止めました。そのしわ寄せは奥さんへと・・・・
 


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2016-11-09

テスト

てすと
 


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2016-11-06

こんなことを考えています

最近街を見渡すと中古車屋と墓石屋が目立ちます。 車の整備工場だったところがいつの間にか中古車販売になっているんですね。  それと墓石屋が目立ってきています。高齢者社会を迎えて終末ビジネスが台頭しているようです。 私もそれなりにあちらの世界が近いので興味があって調べているのですが、墓に入らないで自然葬がいい という人たちが増えてきているんですね。  ところが山形にはその辺の整備がまったくされてないんです。私は樹木葬にしたいと思ってるのですがその辺の情報が無いんですね。  何かと暇つぶしになるのかなと思ったりしているのですがどうでしょうか。


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2015-06-21

その人は・・・・

 その人は3月4日に生まれたからミヨというのだそうです。その人は癇癪を起こすとチョークで頭を突付いてチョークが砕けてしまうそうです。その人は先生の子女には優しくきかん坊には厳しいそうです。その人の付ける通信簿は努力した人には評価せずいつものいい子だけえこひいきで良く付けるそうです。その人は私が小学校高学年のとき担任だった先生だそうです。  いくら頑張っても評価に繋がらない実に虚しい日々を送りました。  あの時もっと優しく導いてあげてたら非行に走ることも無かったろうに・・・・ これは私のことではありません。私は非行に走りませんでしたから。  なぜか今頃思い出してはいやな思いをしているわけです。少年期のことって本当に大事ですね。


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2015-06-07

昔涙したこと

 昔々その昔私が若い会社員で車通勤をしている頃、車が渋滞してなかなか進みません。信号も無いのに車がなかなか動かないのです。その理由が分かったのはしばらくしてからでした。リヤカーを引く老婆が前にいたのです。  それを見た途端涙があふれてきてどうしようもなかったことを思い出します。 今私はその老婆と同じ立場にいます。自分ではそう思っていなくともきっとそうなのです。世が世だけに涙する若者はいると思わないが・・・・


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2015-05-02

聞こえないだけじゃないかです

 ただ聞こえないだけじゃないんです。耳の奥の三半規管がバランスを崩してしまい余計なことが出来ない体になってしまいました。特に歩きながらよそ見をする、考え事をしながら歩くと言うことで大概からだのバランスを崩して転倒してしまいます。だから杖を突いてないと思い通り体が動いてくれません。しかもながら行動は大きな事故を誘発します。それが周りの人に多大な迷惑をかけることになるわけです。


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2015-04-27

騒音レベルについて

 騒音レベルの説明をしないとどれくらい聞こえないのか分からないと思いちょっと一言。   小さい音 40db以下   普通の音40〜60db   うるさい 60〜       (75db以上我慢できないうるささ) → ジェット機のエンジンの音を間近で聞く・・・140db(デシベル)  聴力が100dbと言うことは我慢できないくらいのうるさい音でもなかなか聞こえないと言うことです。


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2015-04-27

両耳聴力消失

 音がフェードアウトして私の周りは無音の世界がやってきました。自分の泣き声すら聞こえぬ世界は恐怖の世界。(聴力は100db以上の音でないと聞こえない状態)でも耳は絶えず音がしています。耳鳴りと言う音朝起きると砂嵐の音が聞こえ日中は蝉の音や鐘の音が聞こえてきます。それらの音を気にせず自然に受け止めるまでは多くの時間を要しました。


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2015-04-25

白昼の悪夢

  点滴をしながら治療を行い入院生活を送っていたが聴力の回復はならず退院となり左の聴力があることに安堵し数日を過ごし仕事に向かう車中で異様なことが起こってしまった。音響機器のボリュームを徐々に下げて行きフェードアウトするように私に届いていた世の中の音が消失していく様をわずか1,2分で経験してしまうことに・・・・やがて吐き気と目まいが訪れ絶望へと。


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2015-04-20

右耳聴力の喪失

  「具合が悪い」とようやく告げると救急車を頼んだ。近くの県立病院へ運んでもらいCT検査をしたがこれと言って異常は見当たらないと言う。しかし吐き気とめまいは治まらない。耳に異常を来たしているのではとのことで確認をする。「右の聴力が異常である」ことが判明した。  当時糖尿病の治療を山形市内の市立病院で受けていたことから市立病院への移送を決め再び救急車の搬送者になった。精密検査と点滴を実施し吐き気とめまいが落ち着いたところで聴力がほぼ喪失した事実を知った。


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2015-04-18

聴力の消失

  聴力はある日突然失われたわけではなく段階的に失われました。最初は右の耳からでした。寝ていると目まいがして目を覚ましました。暗がりの中で目を開けると周りが歪んで見えます。夢を見ているのかと思いましたが吐き気がします。立ち上がろうとしましたがめまいで立てそうにありません。妻は隣室で寝ています。ショックで声も出ません。私の頭をよぎったのが脳疾患で命の危機を感じていました。携帯電話に手を伸ばし1番を押しました。呼び出し音にきずいてくれればいいのだが・・・・間もなく妻が隣室から来て「どうしたの」と問いかけますがなかなか声にならない。


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2015-04-09

特別なりんご

 貰ったものでも自分のうちで獲れたものでもない特別なりんご。それは天からの贈り物でした。遠足の日のためだけに神様が準備をしてくれたものなのでした。家が貧しくてリュックの中に何も持って来れないしげ二郎君に与えられた贈り物。私は貧しくは無かったけどしげ二郎君のおこぼれに預かった付録みたいなものでした。でもそのおかげで皆と一緒に遠足に行って弁当を食べられるのでした。


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2015-04-05

しげ二郎君のリュックの中身

 遠足での彼のリュックの中身はいつもこんな感じでした。新聞紙で包んだ梅干のの白いおにぎり(大きなやつ1個)おいしそうなりんご2個。その当時りんごはスターキングが高級種で彼はそれをリュックに入れてました。  でん六豆もキャラメルもありませんでした。ただりんごを頬ばる時の自慢げを顔をしっかり覚えています。実はそれとおんなじりんごを私もリュックに入れてきてたのです。その当時果物を買うと言うことはほとんど無く貰い物か自分のうちで獲れたものでしたが・・・・彼と私のりんごはそのどちらでもなく特別なものでした。       つづく


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2015-04-01

大谷繁二郎君の話

 私のクラスメートに大谷繁二郎君がいました。小漆川と言う地域に住んでおり鈴木和昭くんや後藤清君、佐藤清美君たちが同じ地域に住んでいる同級生でした。  その中では繁二郎君は変わった存在でした。小学生の頃の楽しみの一つに遠足があります。中に梅干が入った海苔おにぎりと果物とでん六まめとキャラメルが定番でゆで卵はちょっと自慢の一品でした。  弁当の時間になると彼は一人で食べていました。仲間同士で車座になって食べるのが普通ですが彼は孤独の人でした。それには訳があったのです。   つづく


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2015-03-11

少年にとってビールは苦いもの

 私の祖父は町内では有名な酒豪で、親分肌の大工の棟梁でしたが酒癖が悪く近所に迷惑をかけては祖母が謝罪に駆けずり回るという日々を垣間見ておりましたので酒の恐ろしさは人より体にしみ込んでおりました。  とは言うものの血は争えず小学生の頃から酒などをたしなんでおりましたが、ついぞビールなる高級な飲物にはお目にかかることなく高校まで来てしまいました。  それは2年の夏休みの柔道部の合宿のときでした。浅黄先輩に手招きされ校舎の裏へと・・・「飲むべ」と言って出したのが缶ビールでした。先輩が飲んだ後手渡された缶ビールをぐっと飲んだときの身震いしそうな苦さ・・・・先輩ありがとうございます。


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2015-03-09

伝説のヒーロー「クンちゃん」

 私の少年時代のヒーローは隣に住んでいた「関野邦明」ことクンちゃんです。クンちゃんは私より2年先輩で勉強が出来て背が高くたくましい筋骨隆々の好青年でした。真面目かといえば適度に崩れた悪い面もありチョイ悪の私にとって憧れのお兄様的存在でした。中学1年の私は夏休み前水泳が許可される前にクンちゃんとやすを持って川に潜り魚を獲ってたりしました。そのときのクンちゃんのわきの下の腋毛が逞しく羨ましくもありました。  その当時進学の主流は中流以下の家庭では工業高校に入り就職するというのが一般的で家庭環境がいい人は普通高校(進学校)から大学へへという流れでした。クンちゃんは新しく出来た工業高校へと進学して私もそれを追うようにして工業高校へと進みます。勉強が嫌いな私は中学を出たら大工になろうと思っていましたが親から泣きつかれそれでは水産高校へと言ったもののそれも反対されクンちゃんのいる高校へと進みます。  それでもクンちゃんと学校で会うことはありませんでした。2年生の秋修学旅行直前に校内で喫煙し(10人程度)停学となり修学旅行禁止という処分なりその屈辱に耐え切れず自主退学してしまいます。  その後のクンちゃんの行方は分からずヒーローとの別れになってしまいます。


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2015-03-06

春のかほりが・・・・

 外を歩いていても日差しの暖かさが感じられるこの頃・・・・すっかり歩道の雪も消えて歩きやすい季節の到来です。ああうれしいうれしい。


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2015-02-15

どこからともなく

 まだ外は寒い。冷凍庫の中にいる。私の好きな井上陽水の歌に氷の世界と言う歌があるがそこで言っている世界は都会のことでまるで比べ物にならない。とは言っても上には上があり想像を絶する寒さが北の大地にはある。  春よこいはやく来い歩き始めたみよちゃんが赤い鼻緒のじょじょはいておんもに出たいと待っている。私は60を過ぎた爺さんなのにまるで歩き始めた幼子のようにやきもきしながら春の訪れを待っている。  雪道は怖い。足がもつれてすぐに転ぶから。ただ転ぶだけならそれも良いが骨折なんてなったら大変である。最悪打ち所が悪かったら取り返しの付かないこともありうる。皆さん大げさな事と笑ってしまうかもしれませんが一度崩れたバランスは思わぬ事態になりかねないのです。頭の中と体がこれほど調和を取れないのはこの病のせいなのだろう。


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2015-02-08

夢について

 夢は夢から覚めたときは、はっきり覚えているのに時間がちょっと経ってしまうと大部分忘れてしまいます。これあとで書いて参考にしようと思っていたのに何を参考にするのかすっかり忘れてしまいます。起きている時にまったく頭の中に浮かんでこないものが夢の中に現れるのは何でなのでしょうか。常日頃考えていることとはかけ離れた内容の夢が多いようなそんな気がします。  かなりの頻度で見るのが旅館の宴会場をチェックしている場面なのです。今の目の前の事柄ではなくて過去のことなのですがホテルの営業をしているときの苦労が強いインパクトのため頭の襞に植え付けられて睡眠と共に刺激され夢に現れるのでしょうか。  あんなにくよくよと気にしていたことなのに夢には全然現れないでまったく違う内容の夢を見るのは本当の悩みではないからなのでしょうか。


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2015-02-02

この間転んだんです

 雪道の歩道で足を滑らせて転んでしまいました。車道は雪が無いのに歩道は圧雪して滑りやすい状態で外出して買い物に行くにも躊躇してしまいます。これが運動不足になり体力が低下しやがて歩くことが出来ない状態に陥ってしまうのではと、思いをめぐらせてしまいます。  この間私の住んでいる街の町長選挙があり当選した町長が人口減少に歯止めをかけて町の活性化を図りたい。と言っておりましたが、 @子供が安心して生活できる環境 A高齢化社会に対応した福祉体制の充実  などが挙げられますがどちらにも共通するのは冬の歩道の確保による安全な通学および通行であると思われます。冬でもお年寄りや体の不自由な方や児童生徒などの交通弱者が安心して通行できる歩道の確保こそが人口減歯止めの優先課題であると思われます。


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2015-01-26

足跡を訪ねて

  今は雪があってなかなか難しいことがありますが春になったら自分の歩んだ足跡をたどる小さなたびをしようかと思っています。  実はこんなことが有ったのです。私が生まれる前祖父が取得した土地についての問い合わせと立会いの依頼の文書が自宅に届いたのです。道路工事に伴う土地境界線の確認についての文書で生まれる前にタイムスリップしたような出来事でした。お役所の土地登記の記録はすごいもので祖父と父が他界した間をものともせずそのあとの私にこの書類がと土間とは・・・・しかも引越しを繰り返しているのに追いかけてくるのですから・・・・


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2015-01-23

昨日ふと頭に浮かんだあのメロディー

 仰げば尊しわが師の恩・・・・小中学校の卒業式で何の思いも無く歌ってた仰げば尊し。ただ歌うことになっていたから歌っていただけで私にとってはどうでもいいことだった。今の人たちは自分たちで卒業式を企画するのだとか・・・・  今この年でこの歌の歌詞を考えてみるとこの歌にふさわしいわが師はいたのだろうか。小中高通して思い当たるのは二人だけです。これは多いのか少ないのか分かりませんが12年の学校生活の中で2人ですから6年に1人と言うことになりますがわが師はこんなもんでしょうか。


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2015-01-10

冬になるといつも思うこと

 冬になるといつも思うことがあります。この場でも何度か述べたことがありますが、雪道での歩行者への配慮がなされていないのに悩まされています。  交差点での横断歩道の除雪ですが車の通るとこは別にして歩行者が歩き出す端の除雪がなってないのは当然ながら除雪した雪が積まれて体の不自由な私にとっては大変なことです。いつも立ち往生してしまいます。  商店から駐車場に入る歩道の除雪が車が入るためのもので車の通路の両脇は雪が積まれた常態で歩きずらいことこの上ないです。何のための歩道なのでしょうか。そのせいで車道を歩く歩行者が多くなりドライバーの方も大変苦労されているわけです。  雪道を歩けないと言うことは買い物が出来ないと言うことであり運動不足になりからだの老化が一段と進んでしまうと言うことです。  言わばこれは私にとって死活問題なわけです。


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2015-01-05

今年も頑張ろうなんてね

 新年に当り一言。 何とかまた一つ年を越しました。別に苦労している訳ではないのですが命を永らえていることに対する感謝の気持ちを表現しました。正確に申せば永らえさせてもらっていると言うほうが合っているようです。人工透析という治療をしないと保てない命なのであります。週3回4時間の12時間が私の命を保つために要する時間です。  これはサボれない必須の時間なのです。多くの費用がかかっています。個人では払えない費用なので国にご迷惑をかけて(皆様の税金を使わせていただいております。)申し訳なく思っております。  それが故に生きていることに感謝をしなければなりません。


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2014-12-29

年の瀬に

 いよいよ今年もあとわずかであります。世の中は年末年始の連休でどこもかしこも大賑わいです。私はそうすることも無くただただ病院にいく日を待つのみであります。私に自由はごく限られた時間だけであります。  別に不幸ではありませんが不自由ですね。人から見れば不幸なことでも結構幸せなのであります。  特に正月をめでる事も無く決められたスケジュールに合わせ粛々と歩むだけであります。


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2014-12-23

韓国ドラマと台湾ドラマに見る日本への

  私は耳が不自由なので日本のドラマは見れない。字幕が無いからだめなんです。まあ字幕があるドラマもあるけど・・・・  非常に不規則な生活をしているもので人が起きている時間帯は寝ててとんでもない時間帯に起きているので日本のドラマは見れないと言ったほうが良いのかも。  そんな訳でインターネット上で無料で配信されてる海外の字幕付きのドラマを見るんですが、その中でも同じアジアの韓国と台湾のドラマに興味を持って見ているんです。どちらも日本のことが取り上げられドラマが進められるケースがおりよく偽の日本人が出演します。  その違いはあまりにもはっきりしています。韓国はあからさまな敵意を持って捉えているし、台湾は友人として捉えているようです。  それは過去の歴史が影を落としているようです。これを考えると先人の執ってきた事柄にふと嫌悪感に陥ってしまいます。  日本を目の敵にするあの人たちの思いは私たちには分からないのかもしれません。


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2014-12-21

都会は身障者に優しくない

 何年か前妻と東京に旅をしてひどい目にあいましてね。いやなにちょっとテレビを見ててふと思い出したんでさあ。私は体のバランスが崩れやすい状況てね杖が必要なんですが都会の雑踏の中で私の杖を引っ掛けるんでさあ。それでバランスを崩して思いっきり前のめりに転んだんです。頭を打って一瞬意識が朦朧となって起き上がれないんでさあ。妻は慌てふためいておろおろと・・・周りの人は何事もないかのように通り過ぎていくんだねこれが・・・・  この間家の近くを買い物で歩いていたら道路の凹凸に足を取られ転んでしまったことがありましてね・・・そのときは近くにいた人たちが駆けてきて起こしてくれて大丈夫ですかと声をかけてくれたんです。  この違いなんですよね都会と田舎の違いは・・・・ 泣きたくなりますよね。悲しくも嬉しくも・・・・


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2014-10-29

小学生の頃

 私の卒業した小学校の校歌なんですが、東開けて眺めよい古い歴史の水郷を 流れて止まぬ最上川 岸辺に高く立つ母校 ああ左沢の小学校  本当に岸辺の高台に立っていたんですが古より古代人も生活をしていたようで校庭のあちこちから石器が見つかったものです。主に鏃(やじり)が多く見つかり特に珍しくも無くましてやそれを大事にとって置くなんてこともしなかった記憶があります。私の小学生の頃はゴミ回収なんて物は無かったようで家庭の生ごみは畑に撒いて燃やせるものは各家庭で燃やしていたように記憶してます。学校のゴミはと言うと生ごみは校庭の裏の空き地に穴を掘って捨てていたような記憶があります。  その穴を掘っている最中に縄文土器が発見されてちょっとした騒ぎになった記憶があります。  そのときは友達と一緒に穴を見に行き土器のかけらを持って帰ったことを覚えています。  当時は自然の中にこんなものがたくさんあったんです。


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2014-10-06

またまた愛する方言の話

 20何年か前某NECの系列子会社を退職して仙台の秋保温泉のホテルに入社し第2の人生に向けスタートしてフロントに所属していた当時の話です。お客様が宴会終了後部屋に戻りたいがエレベーターの場所が分からなくなったらしくフロントに来て「イレビッタどごだ」尋ねられた上司は(この上司は某NECの課長を人間関係のため退職してこのホテルに入社した人)「はあ?」と聞き返してしまいまして「なんだおめえおらんとこばがにするんでねえぞ」と烈火のごとく怒ってしまいました。  「エレベーターはどこですか」と聞いているのに「はあ?」はないだろうと言うことなわけです。上司にはイレビッタと聞こえたわけですがお客様はエレベーターと言っているつもりなわけです。  私はたまたまこのお客さんの地方に出向していたこともあり間一髪フォローして事なきを得ました。  40数年前私はふるさと山形に背を向け首都圏の某積水化学東京工場に就職しまして正月に帰省するため上野駅に来てお土産を買おうとして売店により「これください」と言っているのに「はあ?」と問い返されたとき、方言でしゃべっているわけじゃないのになんで「はあ?」なのと思ったことがこういうことなんだな。  今はどこを切っても金太郎飴で田舎の持つ味が失われてしまったように感じてしまいます。


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2014-09-24

今日の話も方言で

 「やぐどしたべ」一体何語だ・・・「わざとやったんだろう」すごくて全然分からないよねえ。昔私が小さい頃お店に買い物に行くとき「かう」と言って店に入ったものです。山形はどこ行っても「買う」で同じだよなあと思っていたら米沢では「ああーいん」米沢以外の置賜では「おごやえ」最上地区では「はいっとー」などなど色々あることが分かりました。同じ山形でも地域によってこんなに違いがあるんです。  もう今となっては死語の世界ですがマスメディアの普及により日本全国どこに行っても通じちゃうんですもんねえ。なんか寂しいようなひとつの地方文化が言葉と共に消えてしまっているようで・・・・どこを切っても金太郎の金太郎飴だよね。


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2014-09-22

秋祭りが終わると田舎町は

 秋祭り(八幡神社の祭り=谷地どんが祭り)が終わると田舎は徐々に吹く風が冷たくなり春を待つ充電期間に入ります。というのは昔の話で今は一年中季節感のない平坦な日々ですよねえ。メリハリのない日々の生活に慣らされた若者たちと年寄りのギャップは広がるばかりで先人の生活の知恵も聞いてくれない寂しい世の中になってきました。私はどっちかって? もちろん年寄りですよ。


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2014-09-21

やっぱり方言はいいねえ

 「んだ」「んね」いいよねえ「そうです」「ちがいます」みちのくの寒さゆえ生まれた? 言葉なのかどうか分かりませんがなぜか愛着を感じてしまいます。 「ちぇっとあいづはらだくさいずねえ」 「ちょっとあいつおかしいんじゃない」という意味なのですがほかの地方に住む友人が「原田んとこそんなにばかにしていいのかよ」と真面目に言うのです。「はらだくさい」=「ちょっとおかしい」がわからない人にとっては「原田みたい」と受け取ってしまうわけです。  昔私が都会に住んでたとき先輩が山形行った時道を尋ねたそうです。「あそこのかどっこばむずてけらっしゃい」との言葉に可愛い顔して何言ってんだろうと思ったそうです。ちなみに「むずる」は「まがる」ことですはい。


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2014-09-19

方言ていいよねえ

 この間ある年配の方から「こわぐないが」と問われ一瞬考えてしまったが状況からして「疲れないか」のことだと分かって返事をしましたが「怖くないか」と私の年代でも(61歳)受け取りがちのこの方言昔は私も使ってたよなあ。  私の尊敬する師匠は生前アマチュアバンドのリーダーをやっていて演奏の合間によくこんな笑い話をしておりました。  「どさ」 「ゆさ」この会話がわが国最短の言葉なんだっす。何のことだか分かりますか皆さん。分かっている人の間から笑い声が、分からない人の間からは好奇心の表情。そこですかさず「どこいくの」「風呂に行くんだ」と言葉をつなぐと笑いと納得の表情。そこで最後に「東北は寒いので出来るだけ口を開けない会話をするんです。そうやって寒さに耐える知恵を育んで来たのですが言葉少ないそのことがほかの地方の方から誤解され嫌われてしまいがちなんです。  また方言の話をします。今日はここまで。


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2014-08-25

年をとると昔のことが

 年をとると昔のことが浮かんできます。若かりし頃自宅から会社まで25キロの道のりを自動車で通勤しておりまして山形市内の会社近くになると渋滞が激しくなかなか前に進まないイライラの日々を送っておりました。そんな状況の中お年寄りがリヤカーを引いて前に居りましたが渋滞のせいでなかなか追い越せず老婆の後姿を眺めておりましたらなぜかはらはらと涙がこぼれてしまってました。  私は初孫のせいか祖父母に可愛がられ母親より祖母への思いのほうが強いようでリヤカーを引いている老婆の後姿が祖母に重なったようでした。  祖母が亡くなって30年を過ぎ私自身が人からそんな目で見られる年になってしまいました。杖を突いてよろよろと歩く姿はどんな風に映っているのだろうか。


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2014-07-30

何を思うのか

 なぜか気が急いてしょうがない。わずかな灯火がじりじりと時間と共に消えていく。まだまだあると思っていたらもうすぐそこに最後が見えてきた。別に悲しくは無いけどやり残した事があるんだ。あなたを幸せにするといった約束が気にかかる。  でもきっと幸せだよね。


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2014-07-28

なぜかあの時の記憶が甦って

 大分前のことになりますが、その時その人は薄目を開けて悲しそうな悔しそうな感じでした。さぞ悔しかったろうな。予期もせぬ自分自身の身の上に起こった出来事が訳も分からぬまま自身に降りかかってくるとは・・・・。  最後までそのままで最初からそのままで。志半ばであるがゆえに悔しさが表情に出てしまったのだろうか。


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2014-06-25

昨日は結婚記念日だったそうです。

 結婚記念日というと普通は1回でありますが私の場合厳密に言うと3回あります。1回は亡くなった最初の妻との記念日1回は別れた妻との記念日、そして1回は今の愛する奥様との記念日です。当然先ほどの昨日と言ったのは今の奥様との記念日であります。21年です。長きに渡り一緒に手を携えて生きてこれたことに心から感謝を致しております。  特に私は若い頃の無理がたたって身体障害者のみに甘んじており妻には並々ならぬ苦労をかけております。  合掌感謝感謝嗚呼感涙是有我人生絶頂時期也


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2014-06-07

白いウインドブレーカーの女

 私の街に一年中同じ白いウインドブレーカーを着た女が出没する。車道のなかほどにただ佇む。。何の目的なのかわからないが車が迷惑そうによけて通り過ぎる。いつからなのか・・・誰なのかよくわからない。分かっていることは、アパートに住んでいたころ隣の部屋にいて時折大音響のくしゃみを発する妙な香り(エスニック)がして外国の言葉を発する女であるということ・・・・。ある日突然引っ越していったがまだここら辺に出没するということはこの町のどこかに住んでいるのだろう。


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2014-05-19

この間師匠の夢見ました

 この間久し振りに師匠の夢を見ました。いつもはおい元気でやってるかみたいなのが多いのですがこの間のは寂しそうな悲しそうな表情で布団に横になっているのです。そしていつもは出てこない奥様が布団のそばで見守っているのです。(奥様は元気に存命しております)あんな悲しそうな師匠の表情を見るのは初めてで思わず戸惑ってしまいました。私があっちに行かないんで寂しいのかな・・・なんて考えたりしてまして・・・。


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2014-05-06

お菓子あれこれ

 GWも終わり日本も静かになり気温の上昇と共に5月病が頭をもたげて来ます。それと陽気のせいでむらむらと来るのか変態も横行してきます。
 私も若い頃夜な夜な外を徘徊し眠れぬ夜を過ごした事が記憶にあります。何をしたいというよりも何かをしなきゃあといった感じでしたでしょうか。
 最近ちょっとはまっているお菓子があります。それはひねりを入れたスティック状の揚げせんのことです。メーカーによって呼称が違うのでちょっと気になりお店に行く度にあげせんを見て回っている自分がいるのです。
 呼称を紹介しますと、たつまき、両横綱、つな揚げ、ひねり揚、 とまあ今のところこんなもんですかねえ。面白いでしょう。あっ面白くない。あっそう。
 味は塩味がメインですがカレー味を出してるメーカーがあり、ちょっぴりハマっています。
 


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2014-03-30

みちのく山形もすっかり春めいてきまし

 私は食事係なので朝5時前には起きちゃいます。その前に朝刊とチラシを読んじゃいます。食事係としては安い食材探しには余念がないのであります。話はそれちゃいましたが朝台所に立った時の寒さ具合がまるっきり違うのです。台所のストーブを付けるのが最初にやる日課でありましたが、もうその必要もないくらいです。  東京の人が寒いと言っている気温は山形ではそうは感じません。私も若い頃そちらで生活してましたが冬に関して言えば極楽でありました。こんなことを言うと北海道の人に睨まれそうですが・・・  歩いて買い物をする私としては地獄の冬が終わって一安心なのです。周りを見ながら散歩気分で買い物が出来ちゃうので疲れ具合が全然違います。  思わず鶯の鳴きまねをしたくなるようなそんな気分です。ホーホケキョー


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2014-03-21

CM博士デビュー

 昔はカラオケなんていうものは存在せず宴席での歌の披露はアカペラでした。音痴だろうが歌えないだろうが指名されたら披露しなければなりません。うまいか下手か面白いかつまらないかで宴会の灰皿(今でこそ禁煙者が増えてきましたが昔は宴会場は煙突の中のように煙たくて灰皿は宴会に欠かせないものでした。)と呼ばれるか決まるわけです。決して歌が上手くはないと自負していた私は面白い方に賭けてみました。  当たりましたね。CMソングが馬鹿うけしてしまいました。1曲だけではなくメドレーにするわけです。たまに歌詞を替えて唄っちゃうわけです。たちまちにして宴会の灰皿となって行ったのであります。


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2014-03-20

CM博士はこうして生まれた

 私の同期で私以上に訛りのひどい人がいて彼らも悩んでいました。今でこそメディアの発達で全国どこへ言っても言葉は平均化してますが40年以上前にはまだまだでした。どうやって人より早く克服できたのでしょうか。正確には克服してしまったのです。意図的にやったのではなく結果的にそうなったんですね。  孤独な私はただひたすらテレビと向き合いテレビと話していたのです。今思えば人より早く克服できたのはこのお陰だったのです。テレビを見ていると自然にCMが目に耳に飛び込んできます。その当時山形は民放が確か2局だった気がします。新鮮でした。番組だけではなくCMがすごかった。食い入るように見てるうち自然と口ずさんでいるわけです。訛りからの脱却とCM博士の誕生は同時期だったわけです。           つづく


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